ナラティヴ・カフェ Narrative Cafe

Diabetes Cafe:糖尿病診療におけるナラティヴ・アプローチ

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腎移植・膵移植体験をしたお二人が教えてくれたこと

5月 11th, 2015 · No Comments · 医療人類学(病い体験、illness), 糖尿病療養指導

「医学の物語」の支配に屈せずに「病むことの意味」を問いかけるメッセージ

Type1 DM Summit2日目のランチョンセミナーで、お二人の患者さんが自らの腎移植、膵移植体験を語ってくださいました。そして、あらためて「病いの物語から生まれる多様なコンテクスト」を学ぶことの大切さを実感しました。お二人のメッセージから感じたことを正確に書こうとしたら、長文となってしまいましたが、自身の考えを整理するためにまとめてみました。

■医学の物語

日本糖尿病学会が発行する「科学的根拠に基づく糖尿病診療ガイドライン2013」には以下のように記載されています。

糖尿病治療の目標は、糖尿病症状を除くことはもとより,糖尿病に特徴的な合併症, 糖尿病に併発しやすい合併症の発症、増悪を防ぎ、健康人と同様な日常生活の質 (QOL)を保ち,健康人と変わらない寿命を全うすることにある.

講演会などで、偉い先生方がこの文章を引用するとき、僕はいつも漠然とした違和感を感じていたのですが、今日のお二人の語りを聴きながら、その理由が分かったような気がしました。ガイドラインの記述というのは100%医学的な観点からの記述なので、生身の人生を生きる生活者の視点とは相容れない部分が多いからです。

■「医学の物語」を相対化する態度が求められている

ひとつ分かりやすい例を挙げたいと思います。例えば、摂食障害について、心理の専門家は患者の「心理の病理」から、社会学者は「社会の病理」から、家族療法家は「家族(母子関係)の病理」から、そして医学の専門家は「遺伝や生物医学上の病理」から、摂食障害を語ろうするでしょう。そうすると、摂食障害の当事者はさまざまなナラティブで自らの病いを意味付け、苦しむようになるかも知れません。例えば、「心理の病理」で語られた人は「自らの心が病んでいる」と考えて悩んだり、「家族の病理」で語られた人は「自らの家族を『機能不全家族』だ」と考えて苦しむかも知れません。さらにDM当事者が「生活習慣病モデル」で語られたら、自分の過去の生活に罪悪感を感じる人も多いだろうと思います。
医療者がどのようなナラティヴで病いを語るか!はきわめて重要な問題です。100%医学の物語が許されるのはガイドラインの中だけであって、社会的な存在である病者を診る実臨床ではガイドラインは病いを語る1つのナラティブに過ぎないと考える態度が必要だろうと思います。

■「ナラティヴの時代」を生きる医療者の役割


戦後から1980年代あたりまでは「セオリー(ロジック)の時代」であったような気がします。しかしインターネットが普及した2000年以降、専門家、非専門家を問わず、誰もが専門家顔負けの意見表明をする時代となりました。その結果、多くの病者がネット上の病いを巡る言説を読んで、自らの病いを意味付けするようになりました(こうした時代を『ナラティヴの時代』と呼ぶことができます。こうした時代、セオリーではなく、ナラティヴによって生きようとする人々が増えてきます)。それによって、症状が悪化したり、新たな問題が生まれる場合もあるようです。それ故、医療の専門家も、自らの言説がその病気を病む人々に思いがけない影響を与えるかも知れないということを深く自覚する必要があります。

■腎移植、膵移植体験者の語りが糖尿病医療に与えるインパクト


それぞれ異なった経過を辿りながら、腎移植→膵移植という道を歩まれたお二人の生き様は、合併症の抑止や健康寿命に偏った「医学の物語」に一石を投じるだけでなく、医療者にもT1DM当事者に対しても、多様な生き方や治療の選択肢を考えさせてくれる力強いメッセージでした。合併症=No returnを怯える文脈ではなく、自分らしい、積極的な人生の選択肢の1つとして、移植医療の可能性を示すとともに、医学だけでなく、今後 予想される倫理的な課題についてまで一石を投じて下さいました。お二人の勇気に深く感謝したいと思います。

■結びの言葉:人生のストーリーに終わりはない。


僕は、この世を去るとき、どのようなストーリーを語るのだろうか?最近ときどき そんなことを考えます。人の一生はそのときのためにあるような気がします。法政大学・鈴木智之さんは次のように述べています。

経験はその都度の語りの中で意味を明らかにするのであり、したがってまた常に再解釈の可能性に開かれている。「最終版」に至ることのない、(原則としては)果てしのない作業に、物語の語り手と聴き手は共に携わるのだと言えるだろう(N:ナラティヴとケア No6、p25)。

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