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「病いの当事者が良い物語を語るために大切なこと」(No5)

3月 26th, 2015 · No Comments · ナラティヴ・アプローチ(病いの語り、意味), 医療人類学(病い体験、illness)

〜語りの原因としての経験〜

先週から「病いの当事者が良い物語を語るために大切なこと」という難解な連載をNo1〜No4まで投稿してきました。僕はT1DM患者さんのストーリーに大変興味をもっており、そうしたストーリーを詳細に分析して、それを社会的な文脈で捉え直して、広く社会の人々に知ってもらいたいと思っているからです。そこで、T1DM患者さんが良いストーリーを紡ぐお手伝いをしたいと思っています。

以下、鈴木智之著:病いの「経験」とその「語り」(N:ナラティヴとケア、No6、p22)から引用します。
Frankの言葉遣いを借りれば、「身体は言葉を利用するのではなく、それを生み落とすのである」。これをさらに言い換えて、経験と語りは因果連関の内にあると見ることができる。つまり、経験は語りの原因である。人々は病いの物語の中で自らの「身体について」話しているのだが、その語りそのものが当の「身体によって」生み落とされている。言葉は確かに、経験を対象として記述するのであるが、その外部に自由な視点を確保しうるものではなく、経験の連なり(=物語)の結果として、その内部に立ち現れる。したがって、Freemanにならって言えば、経験の語り手が立っている現在地点は、語られている物語の外にではなく、自らが算出する「『テクスト』の俎上」にある。
【解説】
この難しい文章の中で、僕がT1DMの皆さんに強調したい点は以下の部分です。
言葉は確かに、経験を対象として記述するのであるが、その外部に自由な視点を確保しうるものではなく、経験の連なり(=物語)の結果として、その内部に立ち現れる。したがって、Freemanにならって言えば、経験の語り手が立っている現在地点は、語られている物語の外にではなく、自らが算出する「『テクスト』の俎上」にある。
この部分を「見える化」するためにイラストで表現してみました。この図で、伝えたいことが分かるでしょうか?病いの当事者の語る言葉は過去のいくつかの「経験」を結びつけて意味づけられたストーリーであると表現できます(ストーリーとは、過去の出来事を意味づける行為を指します)。しかし、その視点はあくまで、そのストーリーの内側に拘束されています。
だから、病いの語りの聴き手の役割は、患者の語りの原因となった「体験」が何なのか?を尋ねながら、患者が持ち得ないストーリーの外側からの視点を与えるような“良い質問”をすることなのだと言えます。毎回、難解な連載ですいません。でも、この難しい文脈のイラスト化は苦心作なのです(^_^;)!

病いの語り手の視点JPEG.001

 

 

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