ナラティヴ・カフェ Narrative Cafe

Diabetes Cafe:糖尿病診療におけるナラティヴ・アプローチ

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「病いの当事者が良い物語を語るために大切なこと」(No4)

3月 22nd, 2015 · No Comments · ナラティヴ・アプローチ(病いの語り、意味), 医療人類学(病い体験、illness)

〜「語り」によって導き出された「知」は真実か?〜

以下、鈴木智之著:病いの「経験」とその「語り」(N:ナラティヴとケア、No6、p22)から引用します。

鈴木氏は、「語り」によって辿り着いた知(=経験に対する意味付け)が真実かどうかを、どのような視点から判断したら良いか?という点について、以下のような考察をしています。

回顧的に語られた語りはどこまでいっても「最終版」に到達することはない。
【引用】(本文p22)
私たちの文脈において重要なことは、事後的に語られた言葉が、先行する経験をどれだけ「正しく」とらえているかという問いが確かに成り立つという点にある。経験とは語りによって構築されたものと言ってしまえば、経験に対する語りの「真実性」が問われる余地はなくなってしまう。だが、私たちはしばしば「本当に起こったこと」の理解を求めて経験を語る。もちろん、その場合の「正しさ」は、実証科学的な意味での「事実との一致」という水準で問われるものではない。

【解説】
例えば、「恐ろしい地震体験」であるとか、あるいは「つらい幼少時の体験」などを語る場合を考えてみましょう。その語りは、地震直後、1年後、2年後、3年後と時が経つにつれて刻々と変化していくことが予想され、従って「最終版」に到達することはありません。またつらい幼少時の体験も、自分が成長し、大人になっていくにつれ、変化していきます。このように過去の体験に対する意味付けが自我の有り様によって変化していくことを利用して、過去の体験の意味付けに介入して、新しい物語を再構成していくセラピーを『ナラティヴ・セラピー』といいます。

【引用】(本文p22)
Frankもまた、病む人は「ただ何でもいいから物語を語るということではなく、良い物語を語らねばならない」と論じている。そして、Spenceの言葉を引きながら、この「よい物語」とは「物語的真実(narrative truth)の探求なのだと位置づけている。多くの場合に、病いの経験を語る者は「自らの病いをよい物語へと仕立て、その中に物語的真実を見いだし、その真実を語る責任を求める」。

【解説】
ここで「良い物語」「物語的真実」という言葉が出てきました。そして、「良い物語」とは「物語的真実」の探求なのだとFrankは述べています。本文中にもあるように、この物語的真実とは「実証科学的な意味での『事実との一致』という水準で問われるものではない」ということはとても重要です。「インスリンなんて打ちたくない」「長生きしても意味がない」といった病者の語りの背後にある物語的真実に出会うことが医療のめざすものだと思います。

物語的真実とは、自らの病いの物語がもつ意味の核心部分といったら良いのでしょうか?「私はこれをみつけるために生きてきた」と思えるような自己物語の核心、それをここでは「物語的真実」と呼ぶことにしたいと思います。こうした病いの意味の探求は、医学に文学を取り入れたリタ・シャロンのめざすナラティヴ・メディスンにも通ずるような気がします。今日はTBSドラマ『流星ワゴン』の最終回ですね。主人公・一雄は自らが死ぬ前に「物語的真実」を見つけることができるのでしょうか?物語の結末に注目したいと思います。
*物語的真実の解釈について、正直自信はありませんが、NBMでは治療者は、患者が物語的真実に出会い、それを物語る共著者となることをめざしています。

この後、鈴木さんの論文は「語りの原因としての経験」に着目し、語りの原因として、どのように経験を探求していったら良いのか?論じていきます。そして、自らの歴史を物語として捉え治す「語り」の意義について理論を展開しています。解説するのがますます難解となっていきます。

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