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Diabetes Cafe:糖尿病診療におけるナラティヴ・アプローチ

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糖尿病栄養療法に関する雑感

3月 11th, 2012 · No Comments · 糖尿病食事療法

3.11からちょうど1年が経ちました。亡くなられた多くの方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。今日は「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げた、早稲田大学大学院の西條剛央さんの『人を助けるすんごい仕組み』を読んでみたいと思っています。

さて、今日は2月にtwitter上に書き綴った「糖尿病栄養療法に関する雑感」をまとめてみました。

■「食べる」ということの文化的側面
糖尿病の栄養療法をめぐる言説が揺れている。大きくは専門家が支持する「バランス食」「カーボカウント」、患者や一部の医師が支持する「糖質制限食」に分かれる。混乱の原因のひとつに医学的な観点のみで議論されていることが挙げられる。食べるという行為の持つ「文化的側面」が軽視されている。

■ 医学的観点だけで栄養療法を論ずるのは疑問!
何をどう食べるか?はとても個人的な問題だ。例えば、自然志向、自然治癒力といった価値観を有する人々は医療者とは異なる健康信念を抱いている。彼らは投薬を望まず、その結果糖質制限に向かう。僕は個人的には糖質制限食を支持しないが、医学的観点だけで栄養療法を議論することには疑問を感じる。

■「食べる」ということは、ひとつの『生き方』の表現と言えないだろうか?
これはとても個人的な見解なので、他人に共感を求めませんが、僕は「食べる」という行為は個人が「誰と」「どのように自己の人生を生きるか」、それを総体として表す行為ではないかと思う。それ故、それをすべて生物医学論理、医学用語の記号で置き換えて論じている医学界の現状をさびしいと感ずる。

■そろそろ「二元論」から脱却して欲しい
栄養療法の議論はいつも「カーボカウントvs 食品交換表」という図式。しかし、患者の治療を真剣に考える人間なら誰でも思うことだが、この2つはどちらも必要なものだ。そろそろwhich is right?(二者択一)からwhich is better for you? へ変わるべきだ。

■ 批判のための議論を止めて、相互理解を目的とした「異文化批評」をしましょう!
異文化理解における「異文化」とは、自分が支持しない栄養療法のパラダイムのことを指します。人は自分が生まれ育った文化の影響を強く受けていて、異文化に触れると、それを無意識に否定したくなる。だから異文化批判をする前に、まず「自文化とは何か?」を考えることが大切、それが自己相対化です。

■ 対立の構図は「パラダイム対立」ではなくって、医療者の「患者に対するスタンス」の対立です!
食品交換表 vs カーボカウントという対立は実は医療者の患者に対するスタンスの違いから生まれていると思う。食品交換表がすべての患者でうまく機能するのであれば、このような議論は生まれないはず。そのスタンスの違いをやや誇張して表現すると、こうなる。

■ 患者を責めるか?自分自身のアプローチを見つめ直すか?どちらが『患者中心』であるか? 答えは明らかだ!
食品交換表に固執する医療者は、患者の血糖コントロールが改善しない理由を、患者側の責任に転嫁する、つまり「患者のコンプライアンスが悪い」というわけだ。それに対して、カーボカウントを推す医療者の多くは、患者の血糖コントロールが改善しない理由を、自分たちの指導方法の欠陥に求めている。

■ 患者は「糖尿病者」である前に、ひとりの「社会人」であることを忘れない
医療者はいつも「健康はすべてにおいて最優先すべきもの」という病院文化の中でしか通用しない常識を信じている。そして、知らずに言外に「患者を批難するオーラ」を発しているのだと思う。しかし、病院の玄関をひとたび出たら、患者はもう患者ではなく、ひとりの社会人に戻るのだ

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