ナラティヴ・カフェ Narrative Cafe

Diabetes Cafe:糖尿病診療におけるナラティヴ・アプローチ

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文化人類学者「磯野真穂さんのセミナー報告」

7月 16th, 2018 · No Comments · ナラティヴ・アプローチ(病いの語り、意味), 医療人類学(病い体験、illness)

テーマ:ナラティブを深める:語りを学問するために

7月14日、文化看護学会が主催する文化人類学者・磯野真穂さんのセミナーが聖路加国際大学で開催され、参加してきました。2時間のセミナーですので、その内容を忠実に再現すると膨大な内容になってしまいますので、僕なりの視点でまとめてみました。

■ナラティブについて考えるその前に

看護領域で質的研究を教え始めて気づいたことが3つあるそうです。これを伝えるとき、「これから看護領域の研究手法についてディスる訳ですが・・」で始められたので、会場がどっと笑いに包まれました。彼女はこういう伝え方がとても上手です。僕もナラティブを語るとき、医師の99%、看護師、薬剤師、その他の医療従事者の80%は実証主義的認識論に立っているので“半端ない”アウェイな環境で語るわけですが、こんな風に笑いを取りながら語り始めたいものだと関心しました。

1)作法を重視する。

2)カテゴリーが好き:研究論文の84%がカテゴリー化されていて、エスノグラフィーでさえ、カテゴリー化している。

3)一般化が好き(こだわる)

■実証主義か、構築主義か

磯野さんが示されたスライドがこれです。これは医師を含む理系の皆さんにはやや難解に感じられるかもしれませんが、構築主義の説明として示された「観察者と現実は切り離せない」「手垢のつかない現実は存在しない」「『正しさ』の作られ方への関心」という表現がとてもしっくりきました。
このとき、磯野さんが言っておられたのは、看護の質的研究の中にしばしば実証主義的な要素が含まれるという指摘です。つまり、常に医療者側が正しいという前提に立って、どうやって病者の考えをそれに近づけようかという文脈が見受けられるという指摘で、深く同意しました。

磯野真穂さんスライド.001

■ナラティブとは何か?

ナラティブについて解説されました。○と△が出てくる動画を見せて、その映像でみられた「出来事」を経時的に列挙し、その出来事を意味のあるかたちに繋げてお話を作って下さいというワークはなかなか面白かったし、盛り上がりました。

■病いとナラティブ 

今回のセミナーの中でもっとも重要な部分です。
冒頭、磯野さんから「病いをもった人々はなぜ語り続けるのでしょうか?」という問いかけがありました。この問いに対して、僕の頭に真っ先に浮かんできたのはアーサー・W・フランクでした。彼は著書『傷ついた物語の語り手』の中で、「近代とは医学的な語りが他の語りに対して優位に立つ時代」であるとし、それを「語りの譲り渡し」と表現しています。これら病いの語りには「『病む人』は『言葉を奪われている』」という医療人類学的前提があります。
磯野真穂さんは2症例の病いの語りについて解説されました。

○病いの語りのプロット化

摂食障害者の語り(著書『なぜ普通に食べられないのか:拒食と過食の文化人類学』からの引用
摂食障害の当事者ミーティングに参加後、語りが大きく変容した事例。
当事者ミーティングで他の当事者が「親子関係」について語ったが(親子関係が摂食障害の原因という病因論が支配的なストーリーの1つ)、彼女は南米での体験について語った。しかし、他の当事者の親子関係のナラティブを聴いてから、彼女の語りが大きく変化します。過去に語った自分の語りを大きく修正し、親子関係のナラティブを採り入れたストーリーを語り始めます。

つまり、僕たち医療者は病者の語りを聴くとき、その語りが「かれらの文化の中で読んだことのあるストーリーを採り入れて、大きく変貌することがある」ということに注意する必要があるということ、つまり、「病いの語りを1人の個人的主観の産物として捉えることは誤りであり、病いの語りは、それが語られるネットワークの中で、苦悩がどう定位されるかという問題をはらんでいる」という極めて重要な指摘をされました。

 

○病いの仮定法化

乳がん患者の語り(DIPEx Japanの語りからの引用

ホルモン受容体マイナスの乳がんであるため、抗がん剤しか効かないと説明された患者が、他の患者からは「ホルモン療法をやらなくていいなんて、うらやましい」と言われながらも、抗がん剤しか有効な治療法がないと言われたことが不安で、高価で標準治療推進派医師からは“いかがわしい”と批判される代替療法を受けるに至った語りを紹介しました。
磯野さんは、この語りについて、以下のような解説をされました。自分の病いについてすでに諦めている患者に仮定法は起こりません。しかし、病いの最中で必死に治療を求める人は「将来とんでもないことが起こったらどうしようか?」という仮定法化がしばしばみられます。そして、これが相矛盾するような治療法を同時に求めることの説明にもなると。そして、彼女が選択した代替療法という選択が標準治療を推進する場で提示されることが出来なかったのだろうか?と参加者に訴えました。「標準治療で90%助けられる」と言われても、それは確率論なのだから、やはり患者は残りの10%を怖れます。僕は以前から、代替医療を非倫理的医療であると一方的に糾弾する専門家の姿勢に疑問を感じていたので、彼女の意見に深く同意しました。

以上、磯野真穂さんのセミナーのすべてではありませんが、その内容を、あくまで杉本の独断と偏見による編集作業を経たものをご報告させていただきました。

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