ナラティヴ・カフェ Narrative Cafe

Diabetes Cafe:糖尿病診療におけるナラティヴ・アプローチ

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糖質制限食ブームの現代に“食べることの意味”を問う良書

12月 6th, 2016 · 医療人類学(病い体験、illness), 糖尿病食事療法

磯野真穂著『なぜふつうに食べられないのか:拒食と過食の文化人類学』

インターネットが普及し、臨床疫学成績や専門家の見方が大きな影響を与えている。磯野真穂氏はその著書『なぜふつうに食べられないのか』の中で、こうした社会が

    「概念」が「体験」を否定する生き方を生み出す危険性

をきわめて的確に論評している。

糖尿病臨床に従事する医師として、私は糖質制限食へ向かう人たちに注目してきた。
その中にはその食事管理法で良い結果を生んだり、自分らしい生き方を見つける人もいるが、そうでない人々もいた。
本書の中の一節を引用したい。

食べ物についての栄養学的な知識の増加に伴い、田辺が吸収させてよいと考えるものはどんどんと少なくなった。彼女にとって食べ物はもはや「食べたい/食べたくない」ではない。それは、彼女の厳格な健康観に基づいて、「吸収させることを許す/許さない」のいずれかで判断されるようになったのである。

磯野真穂氏は科学的な見方だけで、食を論ずることの危険性をきわめて的確に論評している。糖質制限食に向かう当事者にも、血糖管理を優先する立場から糖質制限食を推す医師、そして栄養バランスの立場からそれを強く非難する管理栄養士にも、文化という立場から食を考えることの大切さを強調したい。

最後に本書から以下の2つを引用したい。

ここまで紹介した女性たちの語りを見ると、食べ物と人生の意味が硬直化し、流動性を失っていることがわかる。食べ物や人生に自ら意味を見いだすことをやめ、他人の作った意味にただ従属していることが分かる。

食のハビトゥスを捨てるということは、自らの人生の軌跡の中で作り出してきた食べ物や生き方に関わる意味付けを放棄し、他人の作り出した意味に従属して生きることと同じなのである。<引用終了>

私の糖尿病食事指導の中心テーマはいつも「あなたが自分らしく食べることと糖尿病管理を両立させること」である。しかし、それはとても難しいことであることをあらためて痛感した。

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インスリン導入におけるPatient-Centered approach

8月 15th, 2016 · インスリン療法, 患者中心主義

 2016年8月12〜14日、静岡県つぼみの会サマーキャンプに参加しました。会場は三島市立「箱根の里」で、静岡県全域および県外から参加した1型糖尿病患児とそのご家族、ボランティア、医療スタッフなど合わせて98名が参加しました。僕は2日目の講演を担当、講演タイトルは『病いの達人になる』でした。講演が終了後、キャンプに参加していた若き糖尿病専門医からの質問に答えながら、気がついたことを書きます。

■サマーキャンプに参加していた若き医師から頂いた質問

最前列に座っていた若き応援医師の先生達に質問を投げかけながらレクチャーを進めていたのですが、「流石、キャンプに参加するような先生は違うなぁ」という回答が返ってきました。そして、講演終了後に頂いた質問がこれ。
Q.日常診療をしている中で、インスリン療法が必要だと思うのですが、なかなか勧めても受け入れて頂けない患者さんがいる訳ですが、そういう場合、どうしたら良いのでしょうか?

回答

「ひとり一人、最良の方法は違うと思うので、一般的な回答をすることは難しいけれど、その患者さんがインスリンを開始できない、様々な要因(心理的、社会的)を探求し、理解できると思えるレベルまで医師−患者関係を深めることができて、『正直、これで患者さんから断られたら、内心かなりショックだよ』と思えるくらいの渾身の想いでインスリン導入を勧めることができたなら、たとえ患者さんからインスリン導入を断られたとしても、それは医師にとっても、患者にとっても、貴重な体験で、ひょっとすると2人の関係性が大きく変わるチャンスにもなる」と答え、医師も患者も大きく成長できた僕自身の体験について語りました。

このように考えると、インスリン導入の説明と同意(Informed choice)は「医師−患者の関係性」という次元で説明できることに気づきます。すなわち、インスリン導入を受け入れない原因を「患者の理解力」や「患者の変化ステージ」のせいにするのではなく、患者に対する自らの想い(患者との関係性)が、まだ患者さんの心に変化を引き起こすレベルには達していなかったと反省するのがインスリン導入におけるPatient-Centered Approachではないかと思った次第です。

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物語能力研究会

6月 26th, 2016 · ナラティブ・ベイスメント・メディスン

リタ・シャロン先生の著述『ナラティブ・メディスン〜物語能力が医療を変える』(医学書院)を読んでいたら、こんな研究会をつくることができたら良いだろうなぁという想いが湧いてきました。すでに日本糖尿病医療学学会という学会があるわけですが、もう少し少人数で、治療が難しい症例を持ち寄って、討論を通じて、互いの物語能力の開発育成をめざすような研究会です。

昔、『糖尿病エンパワーメント』という本が出版された頃には毎日バイブルのように持ち歩き、1日の診療が終わるたびに本を開いてはちょうどクリスチャンが自分の信仰上の問題を解決する聖句を探すみたいに『糖尿病エンパワーメント』を読みあさったものでした。今の僕にとっては、リタ・シャロン先生の「ナラティブ・メディスン』がバイブルです。今日出会った聖句を3つ紹介させて下さい(スライドはクリックで拡大します)。

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『ドクターズ・ストーリー』を読み始めました!

6月 25th, 2016 · ナラティブ・ベイスメント・メディスン

キャサリン・モンゴメリー著、斉藤清二先生、岸本寛史先生監訳の同書を読み始めました。米国の医学部では人文系の専門家が医学生の講座をもっています。そして「道徳的な専門家として、人生について考えるように後押しし、試みる機会を提供することをめざしている」そうです。まだ「まえがき」を読んだだけなのですが、とても魅せられています。彼女の記述には人類学的な視点が随所にあり、医療人類学の習得をめざしている僕にはとても惹かれる視点が多いです。

キャサリン・モンゴメリーの才能と好奇心は素晴らしいです。その一端は以下の文章に表れています。
私は臨床上の問題についての研究がどのように行われているのかが知りたかった。諸々の問題はどのように理解され、どのように解決されるのだろうか?何よりも私は、ヒトの生物学の諸科学における教育の数年間が、どのように学生たちを臨床実践の中で問題を解決できるように訓練するのかを理解したいと望んでいたのである。<引用終了>
前書きで見つけた言葉でスライドをつくってみました(^_^)。

若い頃にこんな授業を受けてみたかったと思ったのですが、でもきっと若い頃聴いても、その意味を理解することはできなかっただろうとすぐに気づきました。少し遅すぎましたが、今だから理解できるのでしょうね。ドクターズ・ストーリーNo2.001

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映画のような実話

4月 20th, 2016 · ナラティヴ・アプローチ(病いの語り、意味)

これは、映画のような実話です。
互いに助け合う下町の人間模様です。

僕の担当患者さんに30代独身の八百屋さんがいます。
ご両親と3人で忙しく八百屋を切り盛りしていました。
しかし一昨年、血液透析をしておられたお母様が急逝され、お父様と2人で八百屋さんを切り盛りしなければならなくなりました。しかし、昨年そのお父様が心筋梗塞で倒れ、何とか一命を取り留めましたが、その後脳卒中を合併、要介護状態で退院してきました。

昼夜逆転のあるお父様を介護しながら店を1人で切り盛りする日々。
しかし、不思議なことにお父様は店に立つと夜とは別人のようにしっかりとした接客をします。だから、彼は心配しながらも、毎日お父様を店に立たせています。

忙しくて血糖測定もできなくなった彼ですが、血糖コントロールは相変わらず良好です。
その理由のひとつが、食事にあります。要介護の父と暮らす彼は食事の支度など出来るはずがありません。

ところが、なんと昔からのお得意さん達が毎日代わる代わる、昼食と夕食を作って届けてくれるそうです。
野菜を買う代わりに、お得意さんが手分けをして毎日2食・2人分の食事をつくって届けてくれるのです。
これはなによりも、彼のご両親が顧客を大切にして、ご近所の皆さんと素晴らしい関係を築いてこられた賜だと思います。核家族化が進み、隣人が誰かも知らない東京ですが、下町にはまだこんな素敵な人間模様が存在しているのですね。彼の話を聴きながら、とても嬉しくなりました。

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